パワハラをして誰かを傷つける人間に勧めたい動物がある。
それは孔雀だ。
とは言え、飼うことを勧めているのではない。
京都大学には孔雀同好会なるものがあって、サカタニをはじめとして何羽かの孔雀を実際に育てているようだが、田舎や学生ならいざ知らず、都市部で働きながら飼うのは難しいだろう。
でも、孔雀を飼っている家族については知ることができる。
パワハラをする人は、何らかのコンプレックスを抱えている。ある人にとってはまだ心の病といえる段階かもしれないし、ある人は既に人格の倒壊ともいえる段階かもしれない。
いずれにしても、コンプレックスによる心の欠乏が、人生において何らかの充足を求めているが、そのままのベクトルで生きていても決して得ることはできない。
そのことを、孔雀を飼っている家族が教えてくれる。
レイモンド・カーヴァーの『羽根』
レイモンド・カーヴァーの、おそらく最も充実した短編集『大聖堂』(村上春樹訳)に『羽根』という短編がある。
物語は、主人公と妻が、同僚夫婦から夕食に招待されるところから始まる。
主人公の職業は定かにされていないが一般的な労働者で、妻は乳製品工場で働いている。子どもはいないが、ありふれた夫婦だ。しかし、彼らの生活も完璧というわけではない。夫婦の収入では欲しくても手に入らないものがあり、他にも言語化されない満たされない思いがある。
それは、同僚夫婦の家に向かう途中、田舎道にさしかかり、主人公が田舎の素朴な風景に感動して「こういうところに家が欲しいもんだねえ」と言うのにたいし、妻は「ひどいど田舎」と返すのからも察せられる。彼らの平凡至極な生活にも影がある。
同僚夫婦の家に着く。
道路から家へのアプローチには砂利が敷き詰められ、周りにはトウモロコシ畑があり、アプローチの先には何本かの樹が植えられ、ポーチのある家がある。映画でよく見る、アメリカの田舎の牧歌的な家だ。
しかし、主人公夫婦は、この家で恐るべきものを目にする。
まず、停車すると、大きい塊がバタバタと音をたてて車の前に着地する。そして、それが夫婦をじっと睨んでいる。
孔雀だ。
夫婦は唖然として何も言えない。
恐るべきものは孔雀だけではない。
同僚が出迎えて、互の自己紹介も済ませてリビングに落ち着く。主人公の妻は、テレビの上に醜悪なものが置いてあるのに気が付く。
歯型だ。
普通のものではない。どうしてこんな風になるのかと思うほど、並びが悪く歪んだ歯型だ。
主人公夫婦は悪いと思ってあえて聞かずにいたのに、同僚がさらっと、それは矯正前の妻の歯型だと教える。
それから、ブサイクな赤ん坊。
主人公が口をきくこともできないくらいブサイクで、むしろブサイクと言うのももったいないぐらいの醜い赤ん坊。
孔雀、醜悪な歯型、ブサイクな赤ん坊。
普通の家庭にはないこれらのシュールなオブジェに主人公夫婦は最初のうち困惑するが、他にも他の家庭にはないものに気が付く。
それは幸福。とてつもない素朴な幸福。
同僚は、醜悪な歯並びでも妻を愛し、妻が気にしているからと大金をだして治療させてやる。妻は夫のその気持ちに感謝し、その気持ちをずっと忘れないためにテレビのうえに飾っておく。ブサイクな子どもついても、同僚夫婦は気にしない。体が大きいから、将来フットボールの選手になるかもしれないなんて言っている。孔雀…孔雀についてはよく分からない。物語中、ときどき奇声を発している。
主人公夫婦は、翻訳者、村上春樹の言葉を借りるなら、「彼らの大地に足をつけたイノセンス」に感動する。
失われた「イノセンス」
では、「イノセンス」とは何だろうか?
それは、あるがままの自分を受け入れ、他人もあるまがまま受け入れることではないだろうか。
私は先に、パワハラをする人は、何らかのコンプレックスを抱えており、心の欠乏が人生において何らかの充足を求めているが、そのままのベクトルで生きていても決して得ることはできないと言った。
世界は不条理に満ちている。この不条理と闘おうとすると人間の心はどうしても歪むようにできている。
パワハラをする人たちは、彼らなりにこの世界の不条理に悩み、学歴とか収入とか社会的地位を得ることで解消しようとしたのだろう。だが、その程度の人知と制度で、人間の心は満たされるように出来ていない。それらは所詮、幻想の価値なのだから。
その過程で「イノセンス」は失われてしまった。そして、満たされることなく心が歪み続け、その姿は同僚の妻のいびつな歯並びのように醜悪な姿となって、ひとを傷つけるようになった。
孔雀の意味
では、パワハラをする人の、醜悪な姿となってしまった心はどうすればいいのだろうか?
同僚のような、他人をあるがまま受け入れられる人間は、残念ながら少ない。
だから、自覚して病院に行くしかない。
そして一刻も早く、他人を傷つけるのを止めて欲しい。傷つけられた人の心が歪み、さらにだれかを傷つけている。
精神公害。そのようなことが現代では起こり始めている。
もう一度だけ。そのままのベクトルで生きていても決して心の充足は得られない。
最後に、この物語で孔雀は不思議なオブジェ以上の役割があるかもしれない。
だから、やはり孔雀を飼うことを勧めたい。
孔雀には「楽園の鳥」という意味があるそうだ。