1

朝、東から太陽が昇る。街外れの小屋に住む、小さな男の子は目を覚ます。男の子は小鳥の囀りを聞きながら簡単な朝食をすませる。それから、父の死体の前に座り、もう何万回と読んだ本を読み始める。男の子は、視線でかすれてしまっている文章を、丁寧にゆっくりと追っていく。そのあいだに、太陽はいつもの速度で南の空を進み、やがて西の山々のあいだに沈んでいく。夕方、部屋のかたすみに夜が現れ、男の子は本を読むのをやめる。男の子は父の死体に、おやすみなさいを言うと、寝台に横になり目を閉じる。意識が眠りに落ちるあいだ、男の子は、明日こそはお父さんの死体がこの世界から消失していますようにと誰かにむかってお祈りする。そして翌朝、男の子は東から昇る太陽とともに目を覚まし、父の遺体の前に座って再び本を読み始める。男の子は数百年、こうして暮らしている。

 父が死んで千年目を迎えた朝、夜明けとともに目を覚ました男の子は、明日の朝は目覚めないと知る。男の子は朝食をとりながら窓の外を眺める。

今ではもう、父の死体はわずかな白い粉末だけになっている。男の子が最後に窓の外を見たのは遥か遠い昔。街は何も変わっていない。だから、書物は発展しないし、言葉は、溺れかけているひとのように、いつまでも何も掴めないのだと、男の子は思う。男の子は食器を洗い終えると、父の死体の前に座り、この日も本を読み始める。

 2

男の子が読んでいるのは、一人の男の物語。

朝、男はある夢から目を覚ます。時刻は明け方。場所は暑い南方の国。部屋はまだ青白く、天井では扇風機が回転し、男の胸では見知らぬ褐色の肌の女がかすかな寝息を立てて安眠している。男は天井を見上げながら、持ち帰った昨夜の夢の記憶を、前世を見るように目を細めて眺めている。

男が起きた気配で、彼の小さな息子も目を覚ましている。息子は父の様子を見ている。やがて、あたりが明るくなり始める。往来から少しずつ、人々の足音や話し声、馬車を曳く音が聞こえてくる。街の一日が始まろうとしている。そのあいだに、遠い異国からの手紙のような夢の記憶が、男の心を更新させる。男を別の人間に…本来の男自身に。息子は、父の心の変化の過程を静かに見守っている。

部屋に朝日が射しこむと、男は、自分の体に纏わりつく死体のように女の体を引き剥す。そして執拗に女の体を揺すぶる。眠りから目覚めさせようとしているのだ。だが、女は目を覚まさない。そのかわりに、深い眠りの底からわずかに心をもたげて声を出す。「どうしたの?」。男はまず「君は誰なんだ」と聞く。女は「あなたの妻じゃない」と答える。女には、男の昨夜の夢の記憶や、男の心の変化の過程など知るわけがない。男は「妻か」と呟き、「それにしてもひどい臭気だな、君は気にならないのか」と聞く。女はそれでも目を覚まさない。心地よい惰眠に早く戻りたいのだ。女の心は最後に少しだけ振り返り「また、変な夢を見たのね…この辺りではいつもこんなもんじゃない」と言って、枕を抱きしめて寝台のなかに沈んでいく。

息子は父が言っていることが分かる。確かに凄まじい臭気だと、息子は思う。それらは、部屋の家具からも、自分が着ているこの国の衣服からも、女の体からも、あらゆる事物から漂っている。男はしばらく妻の寝姿を見ていたが、寝台から起き上がり窓の外を見る。

世界では、太陽が一日の始まりの位置に昇り、惰性的に西に向かい始めている。それにつれて、通りを行き交うひとが増え、ますます酷い臭気が漂ってくる。目の前には市場がある。沢山の魚や肉や野菜が並べられている。どの食物からも強烈な臭いが漂っているのに、店員達は楽しく会話をしながらそれらを次々と店の前に配列している。屋台では、人々はそれらで調理された朝食を美味しそうに食べている。男はお腹が空いていたが「あんなものは食べたくない」と呟いて、地平線を見つめる。

街が果てた辺りから砂漠が広がっている。さらに遥か彼方に目を凝らすと、夢で教えられたとおりに湖があった。とても大きく、綺麗な水をたたえている湖。

男は、湖に行かなければならない。湖に行くことが、男が遠い故郷をはなれて街に来た目的だから。男は、湖に行きたいと思う。湖に行けば、魂に刻まれた役割を果たせるだけでなく、存在性全体で涼むことができる。あれだけ透明な水ならばこの臭いを洗い流せる。美味しい水が飲める。あそこまで遠くまで行けば、この強烈な臭気は届いていないだろうと思われた。男は窓からはなれて自分の衣服を探し始める。

男はあらゆる引き出しをひっくり返して自分の服を探す。でも、男の衣服は見つからない。男物の服はあったが、とても自分が着ていた衣服とは思えない。どの着衣からも強烈な臭いが漂っているからだ。男はかつての妻に「俺の服はどこだ」と聞いたが、女からはもう返事はない。

男は、自分の息子が目を覚ましているのに気が付く。「お前は目を覚ましているのか?」。小さな息子は寝台から顔をあげて「うん」と返事をする。男は服を探すのを諦めて、手近にあった服に着替える。窓の外を見ると、これみよがしに太陽が燃えている。裸でいるよりはマシだと思ったのだ。男は息子にも服を投げて「しょうがないからこれを着ろ。出かけるぞ」と言う。息子は心の準備が出来ている。父が出て行く理由も何となく察しがついている。小さな男の子はすぐに着替えた。そのあいだに、男は故郷から携えてきた、剣の形をした石を帯刀する。そして男と息子は、部屋から出て行く。

(後編に続く)

【後編】はこちらから

美しい剣【後編】

2017.07.31

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