サラリーマンが資本主義を勘違いしている論考

皆さん、社会にたいして疑問に思うことはありませんか?

 

例えば…

ひとを殺してはいけないのに、どうして戦争はなくならないのか?

ひとは平等だというのに、どうして格差が広がるのか?

嘘をついてはいけないのに、どうしてハゲはズラをかぶるのか?

 

これらは、私以外でも不思議に思っているひとは多いはずです。

特に三番目などは、親戚や職場にもいて身近な問題ですね。

親戚はたまにしか会わないが、職場のひとは嫌でも毎日顔を合わせなければなりません。

 

毎日毎日、笑いをこらえるのが…

見ないふりをするのが大変なのに…。

どうして、あのハゲには分からないのだろう?

みんな知っていますよ。みんな変だと思っていますよ。この空気わかりませんか?

色んな意味で、あなたはズレてますよ…。

 

…こちらも本題からズレてしまったので被りなおして…とにかく、本題に戻します。

 

今回は、私が子どもの頃から疑問に思っていること、

「どうしてサラリーマンは資本主義を勘違いしているのか?」

この問題について考えてみたいと思います。

 

これって、けっこう重要な問題ですよ。

社会がサラリーマンで滞っていると言っても過言ではないのです。

 

「そもそも資本主義ってなに?」なんて言う人はいないでしょうが…(いないよね?)

本文に入るまえに簡単におさらいしますね。

 

そもそも資本主義とは?

資本主義(しほんしゅぎ、英: capitalism)または資本制は、生産手段の私的所有および経済的な利潤追求行為を基礎とした経済体系である。

Wikipediaより抜粋  

要するに、

お年寄に金をまわして子育て世代が苦しもうが、

派遣社員を空き缶のようにポイ捨てしようが、

途上国の労働者を安月給で馬車馬のように働かせようが、

そんなことはどこ吹く風で、いくらでもガッポリ儲けていいよということです。

(中のひとはそう理解しています)

 

資本主義について色々と見方はあるでしょうが、この解釈に異論があるひとはいますか?

 

だって、現実はそうなってるじゃん!

 

ここで、高学歴高収入のサラリーマンなら、こんな相槌をうちそうです。

「そうそう。そのおかげで、俺は都心にマンション買って、中学のとき俺をイジめてたアイツより年収が数百万よくて、俺は資本主義で勝ち組だぜ!」と。

 

…だから、それが勘違いなんだってば!

 

でも、勘違いというか、ここではもうちょっと美しく「幻想」と言います。

資本主義で戦っている、その競争で勝っているという幻想…。

そんな幻想を持つのも仕方ないかもしれません。

生まれ落ちた瞬間から、そのように「飼育」されてきたのですから。

 

勘違いを育ててきたもの

結論から言うと、サラリーマンが資本主義を勘違いしてしまったのは、

「受験戦争」です。

 

皆さん、親や学校の先生から、こう言われませんでしたか?

「ひとより一点でも多く取れ。そのために勉強しろ。そうすれば、大人になって、ひとより多くの収入がもらえる。ひとよりいい暮らしができるぞ」と。

 

中のひとの親は、幼稚園の頃から私に、こんな選択をさせようとしていました。

  • Aコース 地元で一番偏差値が高い大学⇒東大とか京大とか⇒キャリア国家公務員
  • Bコース 地元で一番偏差値が高い大学⇒早慶あたり⇒弁護士とか医者
  • Cコース 地元で一番偏差値が高い大学⇒早慶あたり⇒有名企業

慈愛に満ちた目で、どのコースを選ぶ?と、よく聞かれたものです。

 

親や学校の先生が言っていたのは、ある程度までは事実です。

実際、上記のA~Cコースを選択できれば、大半のひとより収入が良く、けっこうゆとりのある生活ができて、中の上ぐらいの女子と結婚できるかもしれません。

 

でも、ここで資本主義を思い出して下さい

「いくらでもガッポリ儲けていいよ」というのが資本主義です。

親や学校の先生は「一点でも多く取れば、ひとより多くの収入を得られる。いい暮らしができる」と言いましたが、「いくらでも儲けられる」とは言っていませんね。

つまり、サラリーマンが幼稚園から大学の卒業まで、しかも現在も進行形でやっていることは、「一円でも多く儲ける」ことではなく、ただ「一点でも多く点を取ること」だったんです。

 

点を取ることは資本主義ではありません。それは、学歴という社会の一基準の中での競争に勝つことです。

一点でも多く取る=資本主義、と勘違いしてしまったのです。

 

でも、うすうす気がついているサラリーマン

サラリーマンだって馬鹿ではありません。

自分たちが、檻の中で有能な社畜となるべく飼育されていたこと。

自分たちが、本当は豚やキャベツと同じような種類の生き物であること。

これらのことを、心の底ではちゃーんと知っているのです。

 

でも、こんなこと言われて、認められますか?

豚やキャベツにだって心があります。

 

自分たちが檻の中にいて、子どもの頃から騙されていたなんて思いたくない。

だから、彼らは自分たちの価値観を守ろうと必死です。

 

勘違いを守ろうと必死になるサラリーマン

檻から出ようとする者、檻の外にいる者は、存在自体が彼らの価値観や存在性の否定になります。

だから、他のあらゆる価値観を認めません。

 

 

例えば、起業しようとする者、音楽や文学など芸術で成功しようとする者、芸能で成功しようとする者などです。

 

そういう人たちを、まだ芽が出ないうちから、あるいは何か失態を犯したら、ここぞとばかりにボコボコにして、自分たちがいる檻にひきずりこもうとします。

 

これは、嫉妬しているのもあるのでしょうが、自分たちを守っているだけなのです。

騙されていても、幻想であろうと、心地いいのかもしれません。

 

自由。つまり何をしてもいいというのは、とてつもなく膨大な広さがあります。

あるひとはそこで「俺は海賊王になる!」と言えるのかもしれませんが、社畜にとっては、広大な砂漠に水なし食料なしで放り出されることと同じです。

 

あなた方は騙されていたんです、もう好きにしていいよと言われても、どうしていいか分かるはずがありません。

 

ちなみに、サラリーマンがひとそれぞれ考え方があるからなんて言うときがありますが、服やメイクに流行があるように、価値観にも流行があります。サラリーマンは、そういうことを一時着こなしているだけで、本気でそう思って言っているのではありません。

 

最後に

この記事を書こうと思ったのでは、ブロガーのニャートさんの記事を読んでからです。

とてもいい記事ですが、私はちょっと考えが違うなと思って書き始めました。

ニャートさんはこの記事のなかで、こう書いています。

皆が責任感から馬車馬のように働く日本社会で、得しているのは経営者だけなのではないか。
皆が雇用されたがるから給料が上がらない。それなら、現在の雇用システムから離れる選択をする人が増えれば、人手不足で雇用される人の給料も上がるのではないか。

私もそう思います。同感です。

 

それから、ニャートさんはこうも書いています。

優秀な人が雇用関係から抜け出せず、やりたいこともできず疲弊していくから、日本は少しづつ衰退していっているのではないだろうか。

これに関しては、私はちょっと違う考えです。

 

「優秀な人であろうと底辺であろうと、雇用関係から抜け出そうとせず、本当にやりたいことなんてないし、見つけようともしないし(人間、本当にやりたいことがあったら、どんな条件下でもやろうとする)、違う考え方の人間を認めないから、日本は少しづつ衰退していっているのではないだろうか」と私は思います。

資本主義的輪廻から解脱できなくて、学歴とか、数百万ほどの年収の違いとか、職業とか、蜜柑のデコボコほどの違いの迷妄にとらわれて、互いを見下し、また見下されているラリーマン。

社畜となるべく飼育されていたとしても、豚やキャベツと同じような種類の生き物であろうと、彼らはこの社会で多数派です。

 

日本というか、世界というか、我々が住んでいる世界がもうちょっと良くなるには、彼らが自分を見直し、他の価値観も認めていくことで、もうちょっと良くなるのではないでしょうか。

 

最後に、サラリーマンの皆さんに一言。

皆さんがいる檻の扉って、ずーっと前から開けっ放しになっているの知っていますか?

 

 

 

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